震災関連

2024年3月11日 (月)

東日本大震災から13年

今年も3月11日が巡ってきました。

13年も経つと世間の興味はだいぶ薄れつつあるのかもしれませんが、今年は元日に能登で大きな地震があったためか、当時を思い出してまた思いを新たにする人も多かったようです。

写真は昨年、亘理郡山元町にある震災遺構 中浜小学校 に行ったときのもの。

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折れ曲がった建具や、浮き上がった床材、落ちかけの天井、流れてきた木などが保存公開されています。

こちらの小学校では、建築時に周りの土地より嵩上げして建てられていたため津波は2階までしか到達せず、子供たちは屋根裏に避難して助かったということです。

避難していた時のまま保存してある屋根裏も見学することができました。

このような震災遺構は沿岸部のいくつかの市町にありますので、今後も機会があれば訪れていきたいです。

そしていつまでも忘れないように。日本中どこにいても災害時の自分の行動を考えていきたいと思っています。

 

 

 

2023年3月13日 (月)

東日本大震災から12年

2日遅れましたが11日は東日本大震災が起きてから12年目の日でした。

卯年でしたね。私の干支なのでよく覚えています。

何年か前の11日にも行った、向洋海浜公園の駐車場で14時46分に黙祷しました。

向洋海浜公園は仙台新港のサーフィンスポットにあって、この日もたくさん楽しんでいる方がいたけど、時間前には浜に上がってきている人も多かったです。

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駐車場にも浜辺にもたくさんの人がいて、仙台港を出る船の汽笛が鳴ったのに合わせて黙祷していました。

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暖かくて風も穏やかで気持ちのいい日でした。

まだ行方不明の方々が1人でもご家族の元に戻れますように。そう願いました。

 

 

2022年6月17日 (金)

閖上マリンキッチンとアクアイグニス仙台

仙台市若林区藤塚地区に新しくできたアクアイグニス仙台に行ってみました。

が、レストランなどはどこも混んでると予想して、川を挟んで向かい側の閖上のイトーの中にある閖上マリンキッチンで先にお昼を食べることに。

海鮮天丼を頼んだのですが、ものすごい盛り!!

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見えているだけでもキスやエビ、エノキ、マイタケ、しそ、サツマイモなどがありますが、この下にもイカやナスなどどっさり。

オーダーしたものはたいてい無理をしてでも残さない私でも、これは無理だった~!天ぷらはカラッと揚がっていておいしかったのですが、食べきれませんでした。サービスよすぎ!

さて、アクアイグニス仙台は津波の被害の大きかった藤塚地区にできた、入浴施設やレストラン、カフェ、販売店などの複合施設です。

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どのお店も有名なシェフやパティシエの手によるものらしいのですが、私はあまり詳しくありません(^_^;)

カフェやスイーツ店、パン屋などは大行列でした。

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結構並んで焼き菓子やパン、マルシェで野菜などを買いました。もっと近くにあったらマメに通いたいんだけどなぁ。

ただ、1年や2年経っても今と同じくらい人が来てくれるかな?という疑問は少しあります。

川の向かいにある閖上のかわまちてらすは人出が変わらずあるので、こちらにも足を伸ばす人は多いかもしれません。

個人的には、震災前にこの地区にあった家々や、津波の被害の様子などを展示するコーナーも作って欲しかったなと思います。

何も知らない人がここを見ても、その歴史を学べないのはもったいないなと思うので。

私はもう少し落ち着いた頃に、食事もしに行ってみたいなと思います。

2022年3月25日 (金)

蒲生の日和山・2007年と2022年

前回の記事のJRフルーツパークに行く前に、久しぶりに蒲生の海岸に行ってみました。

津波の被害に遭った海沿いは全てそうですが、ここも高い防潮堤ができあがっていました!

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防潮堤の上から南側を見たところ。

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沖には船が。

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干潟も少しは残っているのかな。

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防潮堤から見える日和山!

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こんなだったかなぁ…。周りの状況が変わりすぎて。

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中野小学校の跡地にある、伝承の丘にも行きました。

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慰霊碑に上る階段の途中に、津波到達水位が刻んであります。

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こんなにたくさんの住宅があり、人の生活があったのですね。

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さて家に帰ってから、昔行ったときに写真を撮って当時のブログに載せたなぁと思い、探してみるとありました。

2007年の6月、今から15年前に行っていました。

今と違って草が茂っているし、階段も多い。看板の字は同じように見えますが、板は違いますね。

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この時も沖に船がいました。干潟で遊ぶ人がいて、葦が茂っています。

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そして津波警戒区域の看板。この頃の私は、宮城の海は防波堤を超えないと見えない場所が多いことが不満でした。津波の恐ろしさを知らない無知な考えです。

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この4年後に東日本大震災は起きました。

 

2022年3月11日 (金)

東日本大震災から11年

今年も3月11日がやってきました。11年前と同じ金曜日ですね。

あの日は友達と飲みに行く約束をしていて、その前に寄りたいところがあったのでそろそろ準備しようかと思っていたところでした。

うちではグラッときた次の瞬間に電気が消えたので、何が何だかわからず、当時のガラケーは緊急速報も鳴らない機種だったのでただオロオロするばかりでした。

ヒーターが消えたので寒くて寒くて、夜はコートを着たままベッドに入ったけど布団が氷のように冷たくて全然暖まりませんでした。

今日は暖かかったですね。これぐらいだったら低体温症で亡くなる人が少しは減っていたかな。

写真はおかえりモネの舞台になった気仙沼の漁港と大島。

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いつまでもこの美しい景色が変わりませんように。

モネが気仙沼を舞台にしてくれて本当によかったと思います。暖かくなったらまた行こう。

コロナに戦争にと心が穏やかになれない日が続きますが、少しでもきれいなものを見て好きな音楽を聴いて落ち着きましょう。

 

2021年3月11日 (木)

東日本大震災から10年

今日で東日本大震災から10年経ちました。

あの日のことはすべて昨日のことのように思い出せるので、大切なものをなくした方はもっとそうでしょうね。

今年は10年ということもあってか、当時の映像がばんばんテレビで流れているので、精神的にちょっと参りました。

これからも自分にできることで、静かに応援していければと思います。

写真は旧野蒜駅の裏にある復興祈念公園です。

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上皇后陛下が詠まれた歌の碑がありました。

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『野蒜とふ 愛しき地名あるを知る 被災地なるを深く覚えむ』

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ちょうど今、ノビルが育ってくる季節ですね。

旧野蒜駅は震災復興伝承館になっています。お近くへお越しの際は訪ねてみてください。

 

2020年3月11日 (水)

東日本大震災から9年

今日で東日本大震災から9年経ちました。

今年はコロナウィルスの影響で各地の式典は行われず、私もどこにも出かけずに自宅で静かに過ごしました。

海岸沿いの被災地では、各地で嵩上げ工事が行われて新しい道の駅や産直など観光客が立ち寄りやすい施設が増え、鉄道も再開するなど見た目の復興は確実に進んでいるように思います。そこに住む人、大切な人や物を失った人の気持ちの復興の方がこれからもっと長い時間がかかることかもしれませんね。

私もこの1年、気仙沼や閖上や山元などあちこちに行きましたが、どこもおいしいものがいっぱいで、いろいろ買いすぎてしまうほどです。これからも微力ながら経済を回すお手伝いができればと思っています。

写真は昨年の11月に開通した東部復興道路です。仙台市の蒲生から名取市の閖上まで、海沿いの県道に沿って6メートル嵩上げして堤防機能を持たせました。

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震災遺構になっている仙台市旧荒浜小学校の横も通ります。

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何もなかったところによくこれだけ盛り土をしたな!と驚く高さと距離です。見晴らしが良くて信号も少ないので便利になったかも。

ただ、これがあるからといって大きな地震の後の津波の心配が無くなるわけではないので、揺れたら内陸へ避難という基本は忘れないようにしなければ。